なぜ音屋はTwitterでRTがもらえないのか

この記事はDTM Advent Calendar 2016 12日目の記事です。

 

Twitterには投稿する文章の文字数が140文字以内でなければならないというルールがあります。データ量的に考えると560バイトです。しかしこの制約を超える手段がTwitterには存在します。そう、非言語です。Twitterは画像の添付が4枚まで可能というルールがあります。これを利用すると、画像におさまるだけのデータ量をツイートにのせることが可能になります。この「穴」とでもいうべき抜け道を一番恩恵として受け取ることができるのが、絵師といわれている類いのクリエイターです。イラストはそのままツイートに添付することができ、pixivやニコニコ静画を介さない発表ができるわけです。そうするとそのツイートは本物の「作品」になります。「本物」が添付された「作品的」なツイートは必然的に情報量が他の雑談であったり記事のシェアだけのようなツイートに比べて持ち上がります。イラストのクリエイターが簡単にリツイートやお気に入りされるのは当然ですがこの情報量の高さに起因しています(かわいいから、美しいから、面白いからという側面は一旦考えないことにしましょう)。では音屋(DTMer)はどうでしょうか。音楽はツイートに添付することができません。また、画像に波形を張ったところで、それを具象化する装置を私たちは身体に備えてはいません。私たちがTwitterでできることは、ニコニコ動画に誘導したり、SoundCloudに誘導したり、tmboxに誘導することだけです。私たちはツイートを「作品」にできないのです。作品になりえないツイートは、イラストが添付されたツイートに比べて情報量が下がります。つまり音屋のツイートはリツイートやお気に入りされにくいということになります。


 # 俺たちの最後のホープ「動画」、そしてツイートの「作品」化


最近、Twitterでは動画が添付できるようになり、当初30秒程度だったのが、今では140秒の動画までアップロードすることができるようになりました。ポップミュージックで考えるとイントロから始まって運が良ければ1番のサビや間奏がおさまるという感じです。このルールを活用すると私たちはニコニコ動画YouTubeにあげていた動画を切り取ってダイジェストとしてツイートに添付することが可能になります。実際、ボカロ系のクリエイターや歌ってみたの方たちのツイートでよく見られるようになってきたと感じています。これにより、自分の作品そのものをタイムラインに「漏れ」させることができるようになりました。しかし、残念なことにまだこのツイートは「作品」ではなく「エイリアス」でしかありません。これではまだツイートの情報量は本物のイラストに届きません。(藤ちょこさんの「今年のイラスト4枚」ハッシュタグのイラスト4枚つきツイートの情報量の高さ、すごいですよね・・・)僕の考えている打開策としてTwitterに自分の創作を最適化させるという試みを行っています。例としてURL[1]があります。波形の動画にBGMとしてオリジナルの音楽がのっているというものです。これは宣伝でもエイリアスでもなく明らかに本物の「作品」です。動画にオリジナル曲を紐付けることに、ひとまず音屋はツイートの「作品」化に成功し得る土壌に立つことができるのではないでしょうか。


 # 音屋がTwitterでRTをもらうには


絵師になればいいんじゃない?

 

 

 

[1]https://twitter.com/keisei_1092/status/792365320304406529

パソコンで作曲始めたいと言われて10万円渡されたらあなたはどんな環境を作ってあげますか

この記事は DTM Advent Calendar 2016 8日目の記事だってばっちゃが言ってた

 

 

DTMは金のかかる趣味です。PCを買い、DAWを買い、シンセを買い、オーディオインタフェースを買い、ヘッドフォンを買い、、、さらにそのクオリティを突き詰めようとすればやがて7桁を突破し、、、うん。目が$になってしまうので一旦やめましょう。お茶でも淹れて、銀閣寺の同仁斎の画像をGoogleで検索してください。10秒見つめてください。20秒見つめてください。――いいですか、和みましたか?
 決してDTMのより良い環境を構築したいがために感情的になるようなことはあってはいけません。私たちの感情のリソースを注ぐべきものは音楽そのものであり、物語そのものであり、またリスナーやあなたにとっての「八百万の神」(僕にとってはkzさんであったり、奥華子さんだったり、トクマルシューゴさんだったり)です。まぁ感情的になったって良いんですけど・・・。私達には金がありません。諦めてください。諦めてください。または、渋谷駅に来て@keisei_1092にメンションしてください。僕の環境を3秒だけ使ってもいいですよ。でも環境イコールアウトプットではないことに気づくはずです。諦めてください。私達は勉強を怠りすぎです。私達が勉強するべきは楽典であり、ホンモノの楽器の演奏法やシンセの音作りのノウハウであり、その電子音楽上での抽象化スキームそのものです。菅野よう子さんはなぜプロなのでしょうか?Arte RefactMONACAはなぜあれほどにも存在感を放っているのでしょうか?音楽における暗黙知を極限まで形式化し操作できる人だからです。肥えた彼彼女らの音楽の土壌に燦々と立つ太く強いインスピレーションの樹にみずみずしい果実をつけることができる人だからです。僕は作りたい音楽と環境のギャップで消耗することは極力減らしたい派です。もしそこに共感していただけた折には、この記事はもしかするとあなたのためになるかもしれません。


 # enough to DTM


ハード的な「enough to DTM」と、ソフト的な「enough to DTM」について探っていくエントリです。さっそく行きましょう。
 ハード的に最低限必要になってくるのはパソコンです・・・とか言おうとしたんですが、今はスマフォやタブレットでもDTMしてる人がいることを忘れていました。まぁ、スマフォやタブレットは往々にしてまだまだオモチャに過ぎませんので、一度はずすとして、WindowsののっているPCを買うことを考えましょう。なぜWindowsかというとVSTやVSTiが使えるため、それが使えないmacOSを選ぶ場合に比べて使いたいプラグインが使えるという確率が上がるからです。というかAUだけ提供してるプラグインってなかなか見たことねぇな。僕はこないだ2万円でThinkPad X220を購入できたので、2万円あればハードが手に入るということにしてみましょう。あとの8万円の中から、ハード的な「enough to DTM」を選びます。次はオーディオインタフェースです。やっぱりあるとないとでは出音が全く違ってきます。聴いてもらう人へのある種の「礼儀」であるし「マナー」でもあると思います。サッカーで言ったらスパイク履いてないみたいな感じです。オーディオインタフェースはUR22mkⅡを買うとして、15k(1万5千円)の出費です。次にヘッドフォンですが、ヘッドフォンは問答無用でSONY MDR-CD900STです。これも15kです。これで、ハードで5万円使いました。スピーカーはわかりません。なぜかというと音を出せる環境に往々にして僕が生活してこなかったからです。僕は自分一人の部屋というものを持ったことがないので、ずっとヘッドフォンやイヤホンで作っています。音が出せる環境にいることが決定している人は、ヘッドフォンではなくスピーカーで作った方がストレスフリーでいいかもしれませんね。あ、スピーカーは「モニタースピーカー」っていうタームで調べてみてくださいね。
 次にソフト的な「enough to DTM」を探っていきます。こちらはどうしても求めているアウトプットに依存した分岐が多くファジーな領域であることをお許しください。まずはDAWですが、さきほどのURmkⅡを買ったお陰でCubase AIがすでに手元にあります。とりあえずこれを使うことにして、他のソフト音源をしっかり拡張しましょう。で、何を買うかというと、極力フリー音源で頑張りつつ、フリー音源でどうにかなるという確率事象が往々にして低い雰囲気のあるギター音源を中心に「諦めて」買っていくという戦法を探っていきましょう。まずはシンセです。シンセは挙げればきりがないほどフリー音源が流通しているので、特に何も買わなくて良いかなーな雰囲気です。問題はEDMをはじめとした電子音楽ゴリゴリ系をやりたい場合です。フリーでEDM(またはその他のジャンル)ってなかなか難しいんじゃないでしょうか?どうしてもチープ感や、特にEDMのような派手なジャンルではコレジャナイ感が拭えないと思います。とりあえずSylenth1かSerumかSpireを買っておいた方が良いと思います。Nexus 2は即戦力ですが、シンセの音作り力が上がらないためあまりオススメしません。シンセを買うよりもFL STUDIOを買うのが良いかもしれません。これは電子音楽ではリズム系の素材のクオリティが楽曲のクオリティに(生楽器に比べて)直結しやすいためです。(私達はVDUB2 Snare 04.wavに縛られすぎだと思います)FL STUDIOがあるとリズム素材も一通り揃っており、シンセ、エフェクトも電子音楽に最適なものがたくさん入っていてよろしいかと思います。あとbanvoxさんも使ってるしね!生楽器の場合は、ギター音源がひたすら「フリーで頑張りづらい」領域になります。DVS Guitarのソリッド感は嫌いじゃないんだけどね。ということでRealGuitarに手を出します。RealGuitarとRealStratで4万ぐらいかな?黒金だと3万で買えるかもしれません。ギターストロークの打ち込みとは早い段階でサラバした方が精神衛生的に楽だと思うんだ・・・。ドラムはManda AudioのPowerDrumが最高です。ボカロ曲とか聴いてるとAddictive DrumやBFDがどうしても羨ましくなりますが、PowerDrumで全く問題ありません。パターン集が入っててDAWにD&DでMIDIになって、編集もできるの最初見て驚きましたね。他の楽器は、だいたいCubase AIのHalion Sonicでなんとかなるのではないでしょうか?Halion Sonicのピアノ、良い音ですよね。ボカロ曲が作りたい方はボカロを買ってもいいし、UTAUでも良いと思います。最後にマスタリング系です。Invisible Limiterさえあればとりあえずなんとかなります。ノブを回すだけで好きなだけ音圧が稼げるあの感動をみんなに伝えたい。追々、Waves GoldとかOzone7とかほしくなったタイミングで手を出せば問題ないでしょう。



 # 大切なのは「旋律」「リズム」「ハーモニー」



今日は「enough to DTM」という言葉をトリガーにDTMの環境について考えました。

音楽の三要素というものに、旋律、リズム、ハーモニーというものがあります。では、DTMの三要素とはなんでしょうか?僕はこんな回答でしめたいと思います。「旋律」「リズム」「ハーモニー」です。
 読んでいただきありがとうございました。

20代前半を賭けて己の暗黙知と真っ向勝負する覚悟を決めて本を買いまくってる話

高2の時古典の先生が耳にタコできるほど連呼してた所謂「人生の夏休み」が終わり、大学とかいう社会人工場で新卒とかいうラベルを付与されて会社という組織に出荷されました。←受け身な表現ですいませんが一応それなりに主体性はあったつもりでした。今思えば全然だめでしたけどね。で、出荷されて思ったことは

  • クソなコードしか書けなくて辛い
  • 自分の考える企画に説得力やコンセプトやバックグラウンドがなすぎて辛い(声にすら出せない)
  • デザインやタイポグラフィがわからなすぎて辛い
  • 人のこと気にしすぎてメンタルが辛い

院進せずに学部卒で就職することに決めたのは金がないこと以上に「このままラーメン二郎アブラ少なめニンニク少なめヤサイ食って北千住のタカラ湯のゲルマニウム風呂に20分蕩けて宿場町通りの灯りに黄昏れる生活の繰り返しは何も生まないと確信してしまった」からでした。
 現実を垣間みた時は既に遅く、カレンダーが就活イベントで埋まっていきました。内定してから入社までなんてもっとたるんでいた気がします。マジで大学4年をやり直したいけれど、時間は戻らない。院進カードが残ってるんで学歴コンプも何度か考えたけど実行には至っていません。

 

僕は今を変えるしかありませんでした。でも、いくら焦燥感が募っても、明かりひとつ掴むことさえできませんでした。今まで適当に生きてきた(当社比)からです。好きな音楽を聴いて未来世界を幾らイメージしても、肝心の24時間後の青写真を描くことはできませんでした。ツイッターで尊敬している人のアップデートを見ても24時間、長くて168時間をしのぐ希望しか得られませんでした。今年4~6月は本当に自分がいかに「空虚」な「暗黙知」を生きていたかに気づいていくひたすらにダークな時期でした。

 

 僕はテレビが嫌いでラジオが好きでした。J-WAVEはお気に入りのラジオ局のひとつだったのですが、今は終わった番組でJ-WAVE 深夜のたまり場 THE HANGOUTというのがあり、月曜日のパーソナリティで宇野常寛さんという評論家の方がやっていたのを聴いたんですね。そこで目覚めるような一言を聴いて。

 

「手を動かす厨二病だけがカッコいい」。

 

うおぉこんなナードなパンチラインが放送無線から飛んでくるのかとすごく新鮮な気持ちになると共に即宇野さんに興味を持ちました。幸運にもJ-WAVE 深夜のたまり場 THE HANGOUTはYouTubeの公式アカウントからアーカイブが丸ごとダダ漏れしていました。それを僕は毎日風呂で流し続け、風呂で髪の毛を洗いながら笑いころけたり、無限に頷いたり、兎にも角にも宇野さんの言論を咀嚼し続けました。
 この頃、宇野さんの言論を手に持っておきたいと思うようになりました。小学生の頃あった読書タイムなんて一番嫌いな時間だったし、中学時代に流行った涼宮ハルヒの憂鬱を読破することすらできませんでした。高校時代は電子辞書に青空文庫をブッ込んで授業中にポチポチ遊んでたりはしたけど、記憶に残った小説なんてギリギリ羅生門とか銀河鉄道の夜とかそんなレベルです。そんなチンケが初めてまともに買った本が「これからのカッコよさの話をしよう」であったり「新しい地図の見つけ方」であったり「AKB48白熱論争」でした。詳しくは述べませんが、僕の暗黙的な思考軸が言語化された!というカタルシスを感じた初めての体験でした。AKB48白熱論争は全然理解できなかったけど、人は好きなものをちゃんと好きであるべきだと思えた本でした。
 宇野さんは第二次惑星開発委員会というユニットの中でたくさんの文化人と創作を行っています。その中で僕が知ったのが落合陽一さんでした。落合陽一さんの著書は「魔法の世紀」「これからの世界を作る仲間たちへ」のどっちも読みましたが、これからの世界を~の方がスッと入ってきた感じでした。名言というのは、その人しか実行できなかったからこそ名言たる威厳を放つものです。でも、落合さんの言葉は私的にはバスタードソードであったりチェインメイル的な「装備品」のように感じました。自分のフェチズムの芽を枯らさず育て続けるということであったり、独善的な利他性であったり、天才でなく変態であれ・・・などという「装備できる名言」は自分の思考体力というステータスを上げる武器になりました。これをちゃんと大学4年の時に読んでいたらなぁ・・・。。あと落合陽一さんの東大時代の先生(なのかな?)である暦本純一先生の「天使性、悪魔性」という言葉もすごくスッと落ちてくる視点で、日々の思考体力の源になっていると感じています。

 

コードを書くバックグラウンドのリテラシを構築するために本を買いまくってる

最初は図書館を使いました。
 僕は今渋谷区に住んでいるのですが、渋谷区の図書館はクソでした。それに比べ、周縁の自治体の杉並区や新宿区、世田谷区は技術書の蔵書が豊富で、隣の区の住民がカードを作れたので、大学の図書館なんて行かなくて済みました。その代わりに毎週リュックいっぱいの技術本を積載して、青山のOLYMPICで買った折りたたみチャリで僕は甲州街道やらカンナナやらを爆走する週末を送り続けて疲弊してしまいました。2ヶ月ぐらい頑張ってた気がします。本を読むことよりも、本を予約したり、取りに行ったり返しに行ったりというところが結構大変でした。でもこれだけ無料で技術本が漁れるのは本当に良い世界だと思いました。東京は。(茨城がクソとは言っていない)
 で。図書チキンレースに疲れたので本を買うことにしました。毎月新品を買っていたら財布が3秒でパンクするので、だいたい次のようなルールを決めました。

  • 買う本は基本的に 新卒ソフトウェアエンジニアのための技術書100冊 - クックパッド開発者ブログ を埋めていく形で選択する。他、実務で使っている技術を扱っているものを優先的に探す。
  • 500円以下で中古が出てないか、または5割引より安いのがないか探す。
  • 最新が新版や改訂版の場合、それより古いものが爆安で売っていないか探す。
  • 新しい技術についての本はとりあえず保留。(Go、Dockerなど)
  • どうしてもすぐまとまった知識がほしいものは3割引きぐらいでもすぐ買う。(オブジェクト指向Ruby on Railsらへんは命の危険を感じていたのでさっさと買った)
  • エッセイ的な本もガンガン買っていく。ただし、伽藍とバザールみたいに若干ネットにあったりするやつは後回しにしてる。
  • ブックオフオンラインは総計1500円以上にすると送料が無料になる。

このルールで買っていき、今持っている技術本でここに載っているものは26冊ありました。1ヶ月4〜5冊ずつぐらいでしょうか。これに加えて先述の評論、エッセイ系、そして後述のデザイン、新書系も購入しています。コンプすることに意味があるわけではありませんが、スタンダードな技術本セットを揃えることでいつどの技術について深く入らなければいけなくなっても大丈夫という態勢であったり心の余裕を持つことができる点が技術本の大きな意義と感じました。肝心のオブジェクト指向ですが思考体力が全然追いついておらずちまちま咀嚼している状況です・・・頑張ります。

 

自分の想像にコンセプトを、創造に説得力を

イデア流しそうめんのようにやってくるものですが、それを多角的に分析する思考体力のなさに日々無力さを感じていたため、それを補強するべく本の力にすがりました。
 今アツいのはデザイナーの原研哉さんと深沢直人さんです。お二人ともにムサビであったり多摩美であったりの教授で、japan design committeeのメンバーで、無印良品のデザインを担当されていたりする方々です。最近デザイナーマジパネェ!と思ったのは、 キッチン家電2014 | トークイベント | 無印良品 ←この深沢直人さんの炊飯器のデザインで、炊飯器の上に突起をひとつ据えるだけでそこがしゃもじの置き場になるというデザインです。しかもそれを「無印良品を使ってくれる人とのコミュニケーションをこのデザインを通して行うわけです」ということで、人とものの「調和」の「本気」を垣間見てスゲェ!!!!と心から思いました。ということでおすすめは原研哉さんの「デザインのデザイン」とか「デザインのめざめ」とかどうでしょうか。あとEx-formationとかいうめちゃタイトルがオシャンな本も買おうかなーって思っています。深沢直人さんの本も読まねば。
 このお二人をはじめとする、日本のデザイナーのプロダクトや、言葉や、書籍から、モノやアイデアを見るパースペクティブの構造であったりパターンを勉強しているというところです。

 

メンタル辛い

ブコフの100円コーナーにあるような新書でもなんとかなったよ。あと宇野さんや落合さんの「装備できる言葉」でせいしんりょくもあがったのでそれでなんとかならねぇ方がおかしいわーな感じ。メンタルが辛くなったのは往々にして音楽という麻薬を辞めかけてることによる禁断症状なんだけれど、そこをリアリズムに足踏みかえてみたって感じですかねぇ。政治的なタームはまだまだよくわかってないです。
 ひとつ最近は「自分が根源的にやりてぇ事」と「自分が根源的にやりたくはねぇ事」をリストアップするという作業+イケダハヤトさんがこれでもかというぐらい使ってる「消耗するな」というタームを組み合わせたような気持ちを持ってて、自分がやってて好きと思える事ベスト3に入る作業以外はやることを「諦めちゃう」と結構肩の力が降りて気持ち楽になったりするような気がしてます。肩を抜いて生きれるぐらいの自分で、時の流れと「調和してく」ぐらいのメンタルが一番穏やかだとおもいます。

 

これから

暗黙知をひたすら形式化する作業の中でぱらだいむしふとがおこったりしてもっとおもしろい世界のブループリント描けたらいいなぁ。
 ※Twitterで相互フォローの方など、渋谷にいらした際はぜひうちで本読んだり未来について語りにきてください。インスタントコーヒーと大乱闘スマッシュブラザーズを用意していつでも待っています!一緒に最高の世界作ろうあとプログラミングとか論文とか生き方とかわかんないとこあったら一緒にかんがえるよ

Logic Pro X きゅうきょく ちゅ~にんぐ

これはDTM Advent Calendar 2016の4日目の記事だってさ!。

 

 

Logic Pro Xは見づらい!

今でこそMacBook Pro Retina 15-inchでDTMしたり、一時期iMac 5K 27-inchも使ったんですけど、初めてLogic Pro Xを触ったのはMacBook Air 13-inchでした。狭い!見づらい!

 

余計なものを省く

なぜ見づらいかというと「余計なものが多い」からということが一つの原因としてあります。トラックアイコンとかいじらないし、レコーディング準備ボタンは録音しないからいらないし、グループとかなにそれおいしいの?って感じで使ってません。
 ということで、要らない要素を隠してしまいましょう。

 

少年よ、トラックヘッダーをいじれ

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さて、最初の状態です。

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トラックの空の部分を右クリしてConfigure Track Headerおします

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限界まで消すとこんな感じ。で大事なのが「Color Bars」はオンにする。

これは後でトラックに色をつけていくからです。

 

少年よ、ミキサー画面もいじれ 

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ミキサー画面です。

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ここにもConfigure Channel Strip Componentsっつのがあるんですね。

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消せ!!ひたすらチェックボックスを消せ!!!

で大事なのが僕は「Track Name」を3 Linesにして、トラック名が全部見えるようにしてます。

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そうするとミキサーがこんなに短くなったよ!やったね!

この設定毎回やってるんですけどプリセットとか保存できるんすかね?僕はわからないです。プロジェクト単位では問題なく保持できてそうです。

 

少年よ、トラックカラーをつけろ

これを参考にしろ!!

keisei1092.hatenablog.com

 

ハッピーな音楽はコンフォータブルな環境から生まれる!!

デザインはトータルで「デザイン」です。もっと砕けばデザインは「ハーモニー」です。調和のとれたデザインから、本物のデザインは生まれると思っています。みなさんのLogic Pro Xの設定も教えてくれたら嬉しいです!

音楽ジャンルというプログラミング言語

DTM Advent Calendar 2016 3日目の記事です。遅れてゴメンなさい。とりあえず骨格だけ書いてあとで肉づけします。

 

 

音楽にはジャンルという括りがあります。それはポップスであるとか、ジャズであるとか、エレクトロニックであるとか。そして、プログラミングにはプログラミング言語という括りがあります。

 

突然ですが、音に対する感覚である聴覚についてざっと復習してみましょう。

  • 私達の耳は次の3つの構造で成り立っている。音を集めて送る外耳、音を強める中耳、音を脳に送る内耳。[1]
  • 内耳には蝸牛というリンパ液の入った場所があって、耳小骨の振動でリンパ液が揺れ、その揺れを感覚細胞(有毛細胞)がとらえて電気信号に変え蝸牛神経に伝える。神経は電気によって伝わる。[2]

――すごくメカ的ですよね。

音楽というものをジャンルというパースペクティブで切り取ったとき、どこかその括り方がプログラミング言語に似ている気がするのです。そして音楽というものが耳に届く仕組みも、耳という機械に届ける電気信号のプログラムであったりしそうです。

音楽は聴覚のプログラミングであり、音楽ジャンルは音楽のプログラミング言語と言えるのではないでしょうか。

 

[1] 音が聞こえる仕組み<音が耳で聞こえる?>  http://www.skmc.jp/anime/child/ear/ear_2.htm

[2] 耳の機能と構造 http://www.tanaka-ent.or.jp/mimi-kozo.html

ThinkPad X220を買いにnヶ月ぶりに23区部を脱した俺は東村山の11月に恋をした

NETMARKETSHARE[1] というサイトによると、2016年のOSシェアってまだまだ90%ぐらいWindowsらしい。スタバでMacとか、だいぶ定着してる感あるけど、まだまだなんですね。
 Webいじりをしていると、どうしても「MS Edgeで見たときだけ文字がはみ出す」とか、「Internet Explorer+Windows 7でだけ再現する」みたいな現象が少なくとも1週間〜2週間にひとたびぐらいのペースでやってきて、だいぶそれに気分めいっていたのと、そのせいで最近ThinkPadを借りてデバッグさせてもらったことがあって、「そういや大学時代ラボみんなThinkPad持ってたよなー。しいて言うとX220」そう考え始めたのは、丁度1ヶ月ぐらい前からだった気がします。ギークならThinkPadの1台や2台くらい持って当たり前でしょ雰囲気も感じてはいたし、いっちょ沼に飛び込んでみるかという意思で、「ThinkPad 中古」というキーワードでネット上をぷらぷらと。
 最初はX220の3万円ぐらいのが良いかな〜、アレッ、アキバの中古屋行ってホントに安いの見つかるのかな。――もうX1 Carbonブッ込めば良くね?――いやいやそのプラスウン万あったら今はもう少し別のものに使いたいでしょ、、などと葛藤の中をさまよいつつ、、脳内スパゲッティの果てに辿り着いた――漂流したというのが正しい――サイトが



 「ジャンクワールド 東村山店 ThinkPad X220 英語キーボード 20800円」



 ――ミク、お前今日からこいつの中に入るんだぞ(macOS Sierraにインストールできなかった悲しさをまだ引きずってる)



 ポチっても良いのだが、「気は長いのに宅配便だけは待てない症」に負け、行く理由をデッチあげるためにいろいろ日本語を物色していると、「クレカ払いが通販には存在してな」かったり、「銀行振込の手数料はセルフ負担だ」ったり、「送料が一律ウン円だ」ったり、これ主観なんでディスるつもりないんですえkど,とにかく「これ店頭行った方がはやくね!?」的機運の醸成に成功。「西武新宿線とか初めて乗るわ!ヒャッホーイ!これで現地行って別の人に買われてないことだけをひたすら祈るずら」な謎テンションで久しぶりに23区シェルターから身を出して子連れのおっちゃんの隣で延々と西武20000系電車のかぶりつきに明け暮れたのが午後2時ぐらい。西武新宿線というと新宿で乗り換えると西武の駅はしR[2]とはアホみたいに場所が違うので新宿で乗り換えたくねェなと思慮を巡らしていたらGoogle先生の「高田馬場乗り換え」サジェストが光った。なるほどもう人は機械には勝てないのだと諦めつつ高田馬場に初めて降り立ち、西武新宿線のホームへとLANDING。もう全く路線事情わからんので――飯能駅スイッチバック構造になってることとか以外――このままGoogle検索に手綱ひっぱられていく。小平まで急行。小平から新所沢ゆきに乗り換えて2駅で東村山へ。ファーストインプレッション、『常磐線で例えるなら「ひたち野うしく」』。いや今考え直したら牛久か佐貫らへんかもしれない。駅前が中途半端で、すぐ近くにでけー道が走ってる(ひたち野うしく水戸街道、東村山:府中街道)。そんなこと考えつつ東口出て府中街道を北へ北へ歩くとガラス張りから見える店内にギッシリ並んだWindows7の壁紙映るモニターに実家のような安心感を感じながら店内へ入って「これありますか」→「あるよ」→「ヨッシャアアアアアア」ハイ購入。この間わずか10分ぐらい?最初店内に並んで無かったからちょっと焦りました。中の人に画面見せたら倉庫みたいなとこ行ってちゃんと持って戻ってきたからよかたよ。いや、流石に東村山行って戦利品がダイソーの便利棚だけだったら寂しすぎるじゃないですか!ってことで無事ThinkPad X220を握りしめながらダイソーに寄って便利棚を300円分ほど買って急行西武新宿行に乗り込んで野球部員にチラホラされながらセットアップを電車内で済ませつつ帰宅しました。ありがとう、東村山!また今度は一眼レフでも買った時にゆっくり遊びに来るつもりですよ。東口アミューズメントパークの「改装中」の現代ディストピア感に惚れ惚れしちゃったもんね。



 # MacTypeなんて入れてたなあ



「すげー!カリカリいってるよカリカリ!」みたいな感じでHDDが廻る音とか久し振りに聞いてんなってところなんですが、さて無事に手に入りましたのでセットアップしましょうねと。基本的には先述のデバッグ用途であったり、あとはCygWinブッ込んでMacBook Pro RetinaのサブPCとして。そして初音ミクとかMMDとかAviUtlとかブッ込む用になるんだろうなぁて感じです。やっぱ今までMacWindows立ち上げるのなかなか面倒でしたからね。とはいえ、これからデータ移動に困ることになるんですけど。AirDropとかベンダー越えてできるようにならんのかな?とか。
 Windowsのトラウマといえば「メイリオ」であったり「MS ゴシック」(←全角スペースにフェティシズムがある)ですが、Macに慣れたせいで逆に募ってしまった「ヒラギノのビッッミョーな胡散臭さ」のおかげで案外トラウマは薄くなってきてました。結局思う所としてはどのフォントにも良いところがあるし悪いところもあって、モリサワの新ゴがWindowsのプリインになるっつったらコレジャナイ感だし(嬉しいけど。てか2030年ぐらいまでには絶対こうなるよね)、逆に一流のWebデザイナーにMSゴシック縛りでって発注したとしても粒のそろったものは返ってくるはずで、大事なものってバランスだということですよね。ちょっとはフォントとか画面の中のデザインというものを俯瞰できるようになってきたかな?MacType[3]を入れないというのは目標にしていきたいですね。だってあんなのただのスーパーのシャンプー売り場に売ってたゲーム機型したシャンプーのやつ[4]じゃないですか(頼む伝われこの比喩)。Mac買えよって話で。DirectWriteにはDirectWriteの哲学があるんだろーということだよね。
 なんか文字の話になっちゃったけど、結局ThinkPadを買ってみて、やっぱりもうLet's Noteとはダンチでキータッチが気持ち良いのと、キーの配列が超合理的(まぁUS配列買ったから当たり前っちゃ当たり前かもしれんが)なのと、乳首+タッチパッドというマウス操作の方法が2系統用意されてるありがたさと、意外と電源コードが背面にあるってのが取り回し良い気がしてる。MacはMagSafeだから左になきゃいけないんだろうなぁ。すげーカジュアルですよね。その点ThinkPadの電源てけっこーゴツくてケーブルも長くてw実用性のジャイアニズムですね。うむ、大学に入る時に「みんなそうだから!生協指定PCだから!」とか言って10万も出して買ってもらったLet's Noteが塵に見えるぐらいにThinkPad X220は最高ですね。大学時代をこれでやり直したいって気分で一杯です。その分、こいつと一緒にイマ変えられる世界を全力で”Think”して、”Pad”のように胸のぺたんこな初音ミクとアクションを起こしていこうという決意の果てに初音ミクにいじめられる毎日を描いてみた1日でした。みなさんも是非ThinkPad使ってみてくださいね。ジャンクワールド東村山店さんありがとうございました。

 

[1] https://www.netmarketshare.com/operating-system-market-share.aspx?qprid=10&qpcustomd=0
[2] しR:JRのスラング2chのひととか鉄おたとかがよくいってるよ
[3] https://github.com/snowie2000/mactype
[4] ゲームボーイ型のシャンプーwwwwww - ゴールデンタイムズ http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51661096.html

真剣分析『私たちに「スーパー俺の曲カッコいいタイム」は必要か』

この記事はDTM Advent Calendar 2016の最初の記事です。

DTMer界隈、特にDTMer界隈とツイッタラー界隈――フォロワーが多く発言の影響力の大きい人たち――の積集合のような界隈を中心に「スーパー俺の曲カッコいいタイム」という言葉をよく見かけます。
Google検索の1ページ目を見てもその明確な定義はなさそうに見えますが、その言葉自体が誇るように「作曲しながらまたは作曲したあとに自分の作った楽曲に惚れ込むこと」のような意味をもって主にタイムライン上に蔓延っています。
 そしてそれは自分の経験上、作曲やその他のタスクと同じスレッド上で発動するため、「スーパー俺の曲カッコいいタイム」が発動しながら作曲を続けたりその他の創作的な活動が一時的にストップする傾向にあります。自分の経験内容としては次のようなものがあります:

 ・自分の作った曲で身体が動き出す。
 ・   〃   に合いそうな風景をGoogle画像検索で探し始める。
 ・   〃   を聴きながらテキストエディタにポエム(歌詞ではない←重要)を書き始める。
 ・   〃   を聴いて涙が出る。
 ・   〃   が再生されているディスプレイの動画を撮影してVineTwitter傘下の6秒動画投稿サービス)に投稿する。

このような言ってしまえば些かオ◯ニー的な行為がDTMerに必要なのか。「無駄な時間」と考えできるだけこうならないべきなのだろうか。この問は、初級者上級者を問わずDTMerなら必ず直面する悩みかと思われます。DTM Advent Calendar 2016一発目となる本エントリでは、この悩みを更に広く捉えてみたところの「自分で自分の曲を消費する行為は本当に必要か?」という問いにすげ替えつつ、昨今当たり前のように見られるようになったDTMerのVine投稿活動と一緒に考えてみることにしてみましょう。


 # 「渇いた」DTMerと「飲み干す」DTMer


私たちの創作の根底となる意識には自己実現や承認欲求をはじめ数多のトリガーが存在しますが、これらを一言でひっくるめた表現として「渇き」という状態を提示してみることにします。そしてそれらの意識(渇き)をトリガーに育まれた物語を天然水としましょう。自分の作った物語は、スランプ状態とかでない限りほぼほぼ百%自分にとって肯定的に受け入れられるものです。渇きに投じられた一滴の雫がそれを求める人々の目に輝いて見える、ような関係性をもって改めて自分の前に現れてくる。そうしたときにそれを「飲み干す」所作のゼロ年代DTMer的な言語化の結果が「スーパー俺の曲カッコいいタイム」だった。前の表現でいうところの「スーパー俺の渇き潤ってるタイム」と言い換えることができるでしょう。

 

 # 十年代のプリミティブなバイブス湧水源「Vine

 

「渇き」と「飲み」の関係に置き換えると、DTMerはスーパー俺の曲カッコいいタイムという表現の中に「渇いている」事実を内包していることに気づくわけですが、DTMerそれぞれのもつ質の異なった「渇き」「湧き水」を垣間見る場所として、6秒動画で人気のVineがあります。同じ6秒動画で、被写体はディスプレイでたいていはFL STUDIOが映っていて、BPMに合わせてブレがあるのがお決まりパターンで、違うのは音だけというなかで、人間が「渇き潤ってる」考えてみれば若干生々しい6秒を目の当たりにする。6秒で曲の良し悪しをはかることは難しく、コンテンツとしての価値をはかりかねる反面で、人間の営みとして極めてプリミティブな行動であるというところにその6秒を俯瞰することができるのではないでしょうか。

―ということで、総括してみると本エントリにおいては「スーパー俺の曲カッコいいタイム」は2つあって
 (1)内的欲求に対して育んだハンドメイド物語のセルフ消費活動
 (2)「渇き」という一次的な欲求に対するゼロ〜十年代DTMerのTwitter上での潤い報告ムーブメント
 として表象されるのでは?という回答でした。これを必要とするか、不要とするかは個人次第な気がしますが、今回考えたスーパー俺の曲カッコいいタイムというのは、どこかバイブスあり気なイキりワードで丁寧にカプセル化された実は人間の大切な営みであったという結論に落とし込むことができそうな気がしています。ここまで読んでいただきありがとうございました。(終)

 

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■12/02に記事を書いてくれる方を募集しています。誰もいなければ、12/03は「音楽ジャンルというプログラミング言語」という題で、また書こうかなと思っています。