やさしい人ってこういう表現ができる人のことだと思う
ボカロ界隈を見てきて面白いなと思うことの一つは奇跡がたびたび起こることでございます。
それは共創の奇跡だったし、表現の奇跡だったし、技術の奇跡だったし、インタフェースの奇跡だった。
そんな奇跡に魅せられてぼくの心は夜空の星のように毎日輝いておりました。
ーー学生の頃まではね。
自分はお金がないです。夢がないです。技術もないッス。いろんなことに詰まって、はまって、諦めて、心は星の色を忘れて、少しずつ褪せていった。
それにトドメをさしたのが砂の惑星だったと思う。
ぼくは「良いこと言ってる方が絵面が良いでしょ」っていう、とりあえずものはまずポジティブに受け止めてみようぜっていう、悪く言えば流される精神なんです。
砂の惑星が出たときも「これでマジカルミライの観衆全員立ち尽くしてしまえばいいんじゃないですかね」みたいな意見だったの。ツイッター掘れば出てくると思うけど。
本心ではそうじゃなかったんじゃないかなあ。
VOCALOIDってインタフェースはものつくりの楽園を周縁に確実に形作っていた。今はそう断固として言えます。10年経っても、どんなダサい歴史を辿っていたとしても、そこには変わらないソフトウェアの笑顔がある。
でもぼくのスマフォのキーボードをいじる指はそれを伝えることを拒んでしまったし、その直感とのコンフリクトに心はどんどん渇いていっちゃったと思う。
結果的に心は砂になっていたんだと思う。
「都合の良いように人は生きるもの」ってちゃんと言ってくれる、諭してくれる機会って、このご時世にどれぐらいあります?
今の電子空間がどんな状況かなんて、言わなくてもみんな薄々わかってることなんだけれど、インタフェースってすっごく怖くて、それがハートのアイコンだったらつい押してしまうし、何万リツイートなんてなってたらとりあえず便乗してしまう。中途半端な優しさみたいなものが、それによって積もっていく行動と直感のコンフリクトが、違和感が、少しずつ心を汚していってしまうんだと思う。
でも、夏代孝明さんは「NO」って言ったんです。
ニコニコ動画にリンゴをひとつすっころがしてくれた。
マジカルミライ2017の公式CDでも砂の惑星の歌詞カードがSingularityと同じ見開きにあったしね(笑)
でも、あの砂の世界がなければ、「NO」っていえない自分に打ちのめされる時間がなければ、こんなとこに転がってる一つのリンゴを、この曲を、聴いてなにか想うことはなかっただろう。
自分がボカロの畑で表現することにこだわる理由って、奇跡をこの目で見たいからなんです。この世界でボカロの畑が一番面白い奇跡が起こる場所だから。それはフォロワー数でも、再生数でもなくて、それこそその道端に転がってるリンゴみたいなものなんだって。
そんな仄かな初心をはっと思い出した瞬間がこの曲にはありました。
ひどくしゃがれた声を上げよう。
知らない人に届いてるかどうか自体もわからないけど。
奇跡を起こす側になれるのはいつなんだろう。
奇跡なんて起こせなくていいからやさしい人になりたい。